日本にほんの総理大臣そうりだいじんクイズ:日本にほんの首相しゅしょう(戦前)選択クイズ

戦前せんぜんの日本にほんの首相しゅしょうの説明せつめいが表示ひょうじされるので、首相しゅしょうの名前なまえを選えらんでください。

日本の歴代総理大臣の説明一覧(戦前)

代だい 名前なまえ 説明文せつめいぶん
第1代 伊藤いとう 博文ひろぶみ 長州藩ちょうしゅうはん(山口県やまぐちけん)出身しゅっしんで、1889年に大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽうを制定せいてい。日清戦争にっしんせんそう後の下関条約しものせきじょうやくの交渉こうしょうや、日韓協約にっかんきょうやくに基づく韓国統監府かんこくとうかんふの初代統監しょだいそうかんを務つとめる。1909年、韓国かんこくハルビン駅で安重根あんじゅうこんによって暗殺あんさつされる。
第2代 黒田くろだ 清隆きよたか 薩摩藩さつまはん出身しゅっしんの政治家せいじかで、北海道開拓使ほっかいどうかいたくし長官ちょうかんとして北海道ほっかいどうの開発かいはつに貢献こうけん。大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽう発布はっぷ時じの総理大臣そうりだいじん。
第3代 山縣やまがた 有朋ありとも 長州藩ちょうしゅうはん出身しゅっしんの軍人ぐんじん・政治家せいじかで、近代日本の軍事制度ぐんじせいどの基礎きそを築きずいた。二度目に総理大臣そうりだいじんを務つとめた際には、軍備拡張ぐんびかくちょうや地方制度ちほうせいどの整備せいびを推進すいしんした。
第4代 松方まつかた 正義まさよし 薩摩藩さつまはん出身しゅっしんの財政家ざいせいかで、明治時代の財政改革ざいせいかいかくを主導しゅどう。日本銀行にほんぎんこうの創設そうせつにも関与かんよした。二度目に総理大臣そうりだいじんを務つとめた際には、経済政策けいざいせいさくの推進すいしんや貨幣制度かへいせいどの整備せいびに努つとめた。
第5代 伊藤いとう 博文ひろぶみ 2度目の総理大臣
第6代 松方まつかた 正義まさよし 2度目の総理大臣
第7代 伊藤いとう 博文ひろぶみ 3度目の総理大臣
第8代 大隈おおくま 重信しげのぶ 佐賀藩さがはん出身しゅっしんの政治家せいじかで、早稲田大学わせだだいがくの創設者そうせつしゃ。初はつの政党内閣せいとうないかくを組織そしきした。
第9代 山縣やまがた 有朋ありとも 2度目の総理大臣
第10代 伊藤いとう 博文ひろぶみ 4度目の総理大臣
第11代 桂かつら 太郎たろう 長州藩ちょうしゅうはん出身しゅっしんの軍人ぐんじん・政治家せいじかで、日露戦争にちろせんそうを指導しどう。西園寺公望さいおんじきんもちと交代こうたいで総理大臣そうりだいじんを務つとめた時代じだいは「桂園時代けいえんじだい」と呼よばれる。ニコポン宰相さいしょうと呼よばれる。
第12代 西園寺さいおんじ 公望きんもち 公家くげ出身しゅっしんの政治家せいじか。2度総理大臣を務つとめ、最後さいごの元老げんろうとも呼よばれる。桂太郎かつらたろうと交代こうたいで総理大臣そうりだいじんを務つとめた時代じだいは「桂園時代けいえんじだい」と呼よばれる。
第13代 桂かつら 太郎たろう 2度目の総理大臣
第14代 西園寺さいおんじ 公望きんもち 2度目の総理大臣
第15代 桂かつら 太郎たろう 3度目の総理大臣
第16代 山本やまもと 権兵衛ごんべえ 薩摩藩さつまはん出身しゅっしんの海軍軍人かいぐんぐんじんで、2度総理大臣そうりだいじんを務つとめた。一度目の総理大臣そうりだいじんはシーメンス事件じけんの引責いんせきで、二度目の総理大臣そうりだいじんは虎ノ門事件とらのもんじけんで引責辞任いんせきじにん。
第17代 大隈おおくま 重信しげのぶ 2度目の総理大臣
第18代 寺内てらうち 正毅まさたけ 長州藩ちょうしゅうはん出身しゅっしんの軍人ぐんじん・政治家せいじかで、朝鮮総督ちょうせんそうとくを務つとめた後、総理大臣そうりだいじんに就任しゅうにん。シベリア出兵しゅっぺいを主導しゅどうした。ビリケン宰相さいしょうと呼よばれる。
第19代 原はら 敬たかし 岩手県いわてけん出身しゅっしんの政治家せいじか。鉄道網てつどうもうの整備せいびや選挙制度せんきょせいどの改正かいせいなどに取とりくんだ。在任中ざいにんちゅうに暗殺あんさつされた。平民へいみん宰相さいしょうと呼よばれる。
第20代 高橋たかはし 是清これきよ 東京とうきょう出身しゅっしんの財政家ざいせいか・政治家せいじか。開成中学校かいせいちゅうがっこう・高等学校こうとうがっこうの初代しょだい校長こうちょう。大蔵大臣おおくらだいじんとしても、昭和しょうわ金融恐慌きんゆうきょうこうや世界恐慌きょうこうによる混乱こんらんを鎮静化ちんせいかさせた。二・二六に・にろく事件じけんで暗殺あんさつされた。愛称あいしょうはダルマさん。
第21代 加藤かとう 友三郎ともさぶろう 広島県ひろしまけん出身しゅっしんの海軍軍人かいぐんぐんじんで、ワシントン海軍軍縮条約かいぐんぐんしゅくじょうやくの締結ていけつに尽力じんりょく。総理大臣そうりだいじん在任中ざいにんちゅうに病没びょうぼつした。
第22代 山本やまもと 権兵衛ごんべえ 2度目の総理大臣
第23代 清浦きようら 奎吾けいご 熊本県くまもとけん出身しゅっしんの官僚かんりょう・政治家せいじかで、枢密院議長すうみついんぎちょうを務つとめた後、総理大臣そうりだいじんに就任しゅうにん。超然内閣ちょうぜんないかくを組織そしきしたが、護憲ごけん三派さんぱの反発はんぱつを受うけ退陣たいじん。
第24代 加藤かとう 高明たかあき 愛知県あいちけん出身しゅっしんの外交官がいこうかん・政治家せいじかで、護憲ごけん三派さんぱ内閣ないかくを率ひきい、普通選挙法ふつうせんきょほうの成立せいりつや治安維持法ちあんいじほうの制定せいていを行おこなった。
第25代 若槻わかつき 禮次郎れいじろう 島根県しまねけん出身しゅっしんの政治家せいじかで、二度総理大臣そうりだいじんを務つとめた。昭和しょうわ金融恐慌きんゆうきょうこうや満州事変まんしゅうじへんなど、国内外こくないがいの困難こんなんな状況じょうきょうに直面ちょくめんした。
第26代 田中たなか 義一ぎいち 山口県やまぐちけん出身しゅっしんの軍人ぐんじん・政治家せいじかで、積極外交せっきょくがいこうを推進すいしん。張作霖爆殺事件ちょうさくりんばくさつじけんやパリ不戦条約ふせんじょうやくの締結ていけつなどが在任中ざいにんちゅうに起おこった。
第27代 濱口はまぐち 雄幸おさち 高知県こうちけん出身しゅっしんの政治家せいじかで、金解禁きんかいきんやロンドン海軍軍縮条約かいぐんぐんしゅくじょうやくの締結ていけつを行おこなった。東京駅とうきょうえきで狙撃そげきされ、後にその傷きずが原因げんいんで辞任じにん。ライオン宰相さいしょうと呼よばれる。
第28代 若槻わかつき 禮次郎れいじろう 2度目の総理大臣
第29代 犬養いぬかい 毅つよし 岡山県おかやまけん出身しゅっしんの政治家せいじかで、五・一五ご・いちご事件じけんにより暗殺あんさつされた。これとともに政党内閣せいとうないかくが終焉しゅうえんを迎むかえたと言いわれている。
第30代 斎藤さいとう 実まこと 岩手県いわてけん出身しゅっしんの海軍軍人かいぐんぐんじんで、満州国まんしゅうこくの承認しょうにんや国際連盟こくさいれんめい脱退だったいなど、国際的こくさいてきな転換期てんかんきに総理大臣そうりだいじんを務つとめた。帝人事件ていじんじけんをきっかけに内閣総辞職ないかくそうじしょく。二・二六に・にろく事件じけんで暗殺あんさつされた。
第31代 岡田おかだ 啓介けいすけ 福井県ふくいけん出身しゅっしんの海軍軍人かいぐんぐんじんで、二・二六に・にろく事件じけんに直面ちょくめんしたが、松尾伝蔵まつおでんぞうが身代みがわりとなり難なんを逃のがれた。しかし自責じせきの念ねんに駆かられ総辞職そうじしょく。第二次世界大戦だいにじせかいたいせん中には早期終戦そうきしゅうせんを唱となえ、東条内閣とうじょうないかくの倒閣運動とうかくうんどうを主導しゅどう。
第32代 廣田ひろた 弘毅こうき 福岡県ふくおかけん出身しゅっしんの外交官がいこうかん・政治家せいじかで、日独防共協定にちどくぼうきょうきょうていを締結ていけつ。軍部大臣現役武官制ぐんぶだいじんげんえきぶかんせいを復活ふっかつさせた。極東軍事裁判きょくとうぐんじさいばんでは文官ぶんかんとして唯一ゆいいつA級戦犯えーきゅうせんぱんとして死刑しけいとなった。
第33代 林はやし 銑十郎せんじゅうろう 石川県いしかわけん出身しゅっしんの軍人ぐんじんで、4か月という短期間たんきかんの総理大臣そうりだいじんを務つとめた。
第34代 近衛このえ 文麿ふみまろ 東京とうきょう出身しゅっしんの貴族院議員きぞくいんぎいんで、3度総理大臣そうりだいじんを務つとめた。日中戦争にっちゅうせんそうや大東亜共栄圏構想だいとうあきょうえいけんこうそうを進すすめたが、軍部ぐんぶの影響力えいきょうりょくが強つよまる中なかで辞任じにん。戦争せんそうの早期終結そうきしゅうけつを唱となえたが、極東軍事裁判きょくとうぐんじさいばんでA級戦犯えーきゅうせんぱんに指定していされたことを受うけて服毒自殺ふくどくじさつした。
第35代 平沼ひらぬま 騏一郎きいちろう 岡山県おかやまけん出身しゅっしんの法学者ほうがくしゃ・政治家せいじか。日本軍が大敗たいはいしたノモンハン事件じけんや独どくソ不可侵条約ふかしんじょうやくが締結ていけつされたことを受うけて、「欧州おうしゅうの天地てんちは複雑怪奇ふくざつかいき」という声明せいめいとともに総辞職そうじしょく。
第36代 阿部あべ 信行のぶゆき 石川県いしかわけん出身しゅっしんの軍人ぐんじん。内閣発足ないかくほっそくの二日後にドイツのポーランド侵攻しんこうを機きに第二次世界大戦だいにじせかいたいせんが勃発ぼっぱつ。大戦たいせんへの不介入ふかいにゅう方針ほうしんを掲かかげたが、陸軍りくぐんの反対はんたいもあり辞職じしょく。
第37代 米内よない 光政みつまさ 岩手県いわてけん出身しゅっしんの海軍軍人かいぐんぐんじんで、日独伊にちどくい三国同盟さんごくどうめいに反対はんたいしたが軍部ぐんぶの圧力あつりょくで辞任じにん。
第38代 近衛このえ 文麿ふみまろ 2度目の総理大臣
第39代 近衛このえ 文麿ふみまろ 3度目の総理大臣
第40代 東条とうじょう 英機ひでき 東京とうきょう出身しゅっしんの陸軍軍人りくぐんぐんじんで、太平洋戦争たいへいようせんそうを指導しどう。戦争せんそう遂行すいこうに伴ともなう多大ただいな責任せきにんを負おい、後に極東国際軍事裁判きょくとうこくさいぐんじさいばんで死刑判決しけいはんけつを受うけた。
第41代 小磯こいそ 國昭くにあき 陸軍軍人りくぐんぐんじんで、太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっきの困難こんなんな時期じきに総理大臣そうりだいじんを務つとめた。敗戦はいせんの兆候ちょうこうが強つよまる中なかで辞任じにん。
第42代 鈴木すずき 貫太郎かんたろう 大阪おおさか出身しゅっしんの海軍軍人かいぐんぐんじんで、終戦処理しゅうせんしょりを担になった。ポツダム宣言せんげん受諾じゅだくと第二次世界大戦だいにじせかいたいせんの終結しゅうけつを迎むかえた。

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